雨 日帰り 1回目
くろがね小屋
常に大量のオーバーフロー
すぐオーバーフロー
ヤバいほど汗が出た
湯口から毒っぽい硫化水素臭
味はレモン汁っぽい その中に毒の味
ほぼ硫酸
岳温泉の由来は古く、安達太良山は「万葉集」にも詠まれていて、 すでに奈良・平安時代から温泉の出ることが知られていたと言われています。 元和年間に秩父道閑が「くろがね小屋」の近くに元湯を開いたという説もあります。また、寛文年間に「くろがね小屋」の近くに3戸の宿ができ、湯女を置いて、 二本松藩公の別荘もありましたが、文化9年(1812年)12月8日夜に鉄山が噴火して、 被害を被ったと言われています。またこの後、文政7年(1825年)8月15日夜にも上旬から降り続いていた雨が暴風雨となり、 鉄山の一部が地響きをたてて崩壊して、大惨事となりました。翌年、二本松藩の指示で鉄山火口の湯源から「木ノ根坂」に温泉を引き、温泉場が開かれました。 この温泉は「十文字温泉」とも言われ、嘉永4年(1851年)の「諸国温泉効能鑑」では、 福島県内の温泉の筆頭であり、全国番付で前頭5枚目の序列になっていたということで、 その盛況ぶりがうかがえます。 この温泉は4回の大火をはさみながら、嘉永4年3月の大火によって焼失してしまったと 言われています。その後、明治元年(1868年)の維新の兵火でも焼け、明治3年(1870年)8月に「深掘」で 再興されましたが、再び明治39年(1906年)8月に大火で焼失し、明治40年(1907年)に 現在の岳温泉の地に移転しました。
「二本松市史9」から